清瀬六朗

内山節さんは、『時間についての十二章――哲学における時間の問題』のなかで、「農村の時間」と「都市・商品の時間」について書いている。農山村で農業や林業で生活を立てている人たちは農業や林業に合わせた時間感覚を持ってきたのに対して、都市で商品を扱ってきた人たちは商業の都合に合わせた時間感覚を持ってきたという。農村では、毎年、同じ農作業が繰り返されるので、その農作業に合わせた時間感覚が定着している。それは何重にもサイクルを描いて繰り返す時間感覚である。それに対して、商品を扱う人たちは、いちど時間が過ぎ去ったらもう戻らないという直線の時間感覚を持っている。 その差は、人びとの生活と自然との距離にある。日本列島で自然に近いところで生活している農山村の人たちは、日本の自然のサイクルに合わせて、サイクルを描いてめぐってくる時間のほうを基本的な時間感覚として身につけた。それに対して、自然から遠いところで生活してきた商人たちは、直線的に機械的に進む時間の感覚を身につけたというわけだ。なお、私は「農村の時間感覚」とか「都市の時間感覚」とか言っているが、内山さんはそれを「農村ではこのような時間が存在している」、「都市ではこのような時間が存在している」というように「時間の存在」ということばを使っている。 この本で内山さんが書いているのは、内山さんが、自分で農村で暮らしたり、日本全国各地でそこに暮らしているひとにインタビューしたりして作り上げた考えだ。手作りのものが持つ独特の温かさが内山さんの概念からは伝わってくるように感じる。